1986年

6月、W杯メキシコ大会でマラドーナ率いるアルゼンチンが優勝、世界中の子供たち同様、そのプレーをテレビで見た日本の子供たちも夢中にさせてしまいました。 日本では、1983年から始まった「キャプテン翼」のテレビアニメに触発されて、多くの子供たちがサッカー少年団の一員に加わっていました。
マラドーナは、その子供たちの具体的な目標となる選手として出現したのです。
この’86メキシコ大会、日本の選手にとっては、まだまだ夢の舞台でしたが、日本人レフェリーとして高田静夫さんが初めて主審の笛を吹いており、一足先に世界のトップレベル にたった年でもあります。

もう一つ、この大会には、のちの日本サッカー界の一大転機となる起点の意味合いが含まれていました。大会前、当時のFIFA会長で、世界のサッカー界を牛耳っていたアベランジェが「21世紀最初のW杯を例えば日本など、アジアで開催したい」と打ち上げたのです。
夢のまた夢であるW杯を日本で? という具合に半信半疑ながらも、この発言をよりどころに、のちの日本サッカーが進化していったわけで、重要な出来事でした。

国内では、この年、奥寺康彦選手がドイツから日本リーグに復帰、木村和司選手とともに、事実上、日本初のプロサッカー選手が誕生しました。
10月には日本リーグ開幕に先立って、初のスポンサー付き大会として「コダックオールスターサッカー」がチームを東西に分けて開催され、復帰顔見世ゲームとなった奥寺康彦選手がMVPに輝きました。
日本リーグのキャッチフレーズは「サラリーマンサッカーの時代は終わった」。まさにターニングポイントとなった年だったのです。
この年、高校サッカーで絶大な人気を得た武田修宏選手が読売クラブに入団、新しい時代の日本サッカーにふさわしい、若い華のあるサッカー選手第一号の誕生でもありました。

一方、海の向こうでは、単身、本場ブラジルのサッカーに挑戦していたカズこと三浦知良選手が名門サントスFCと最初の契約をしたのがこの年(2月)です。 カズ選手は、その後、やはり名門チーム、パルメイラスの一員として6月に行われたキリンカップサッカーに凱旋帰国、ドイツ・ブレーメンの一員として最後の大会に来日した奥寺康彦選手と決勝で顔を合わせています。残念ながらカズ選手は出場機会がなく、奥寺選手が有終の美を飾りました。 この大会には日本代表も参加していましたが、まだクラブチームの壁を破れないレベルでした。
この、カズ選手の存在は、たびたびテレビでも紹介されるようになり、多くのサッカー少年のあいだで、ブラジルへのサッカー留学といった夢が語られるようになったのです。

このように、1986年は、子供たちのヒーロー・マラドーナの出現をはじめとして、世界のサッカーにとっても、日本のサッカーにとっても伝説的な出来事があった、記憶に残る年なのです。

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